ナマステ
ジャイ・シュリ・アンマ・バガヴァン。
ムンバイ出身のモヒト・ソナワネと申します。
シュリ・アンマ・バガヴァンとの旅は、ずいぶん昔に始まりました。
私は母に付き添ってサットサング(聖なる集い)に通っておりました。
当時は、主に母に同行し、サットサングの間にタブラ(打楽器)を演奏しておりました。
単に母に付き添うことから始まったことが、次第に私自身のシュリ・アンマ・バガヴァンとの旅となっていったのでした。
ここ4~5年の間に、私のダルマへの関わりは、より深く、より個人的なものになってまいりました。
*苦しみに満ちた内面の世界*
外見上は普通の生活を送っているように見えても、内面ではかなりの苦しみを味わっていた時期がありました。
私は頻繁に、心を乱すような悲しい考えに苛まれておりました。
胸の奥底には深い孤独感がありました。
人々とつながりを感じられず、関係性の中で真の幸福や親密さを味わうことが難しいと感じることがよくありました。
まるで人生に行き詰まっているかのように感じておりました。
人々が心理的な苦しみについて語るたびに、私はそれに共感できました。なぜなら、自分自身の内面で苦しみのほぼあらゆる側面を体験してきたと感じていたからです。
*私の中にあったもう一つの顕著な傾向は、「他者との比較」でした。*
常に、他の人たちが人生のどの段階にいるか、何を成し遂げたか、どのように前進しているか、そして自分はその人たちに比べてどの位置にいるのか、といったことを比較しておりました。
比較とともに、強いエゴ(自我)やジャッジ(批判、決めつけ、裁き)の感情も強くありました。
周囲の人々をジャッジしていましたが、自分自身や自分の内面についても同様にジャッジしておりました。
自分の中に特定の思考や感情、反応が湧き上がると、すぐにそれを「正しい」か「間違っている」かとレッテルを貼ってしまっていたのです。
この絶え間ない自分との葛藤は、私の苦しみをさらに深めるだけでした。
*内なる変容の始まり*
この期間もずっと、私はシュリ・アンマ・バガヴァンとのつながりを保ち続けておりました。
定期的にサットサング、プールニマ(満月)・ディクシャ、ダルシャンに参加し、そのプロセスや教えとつながり続けておりました。
次第に、ある非常重要なことに気づき始めました。
外側の状況は必ずしも変わっていませんでしたが、私がそれらを体験する在り方が変わり始めていたのです。
シュリ・アンマ・バガヴァンの恩寵により、自分の内側で何が起きているかをますます意識するようになりました。
以前は、ジャッジの気持ちが浮かぶと、私はただそのジャッジメントそのものになってしまっていました。
感情が湧き上がると、それに完全に飲み込まれておりました。
しかし今では、そのジャッジに気づくようになりました。
比較している自分に気づくようになりました。
傷ついている自分に気づくようになりました。
自分の内面の状態に気づくようになりました。
この気づきは、日常生活の中でますます確かなものになっていきました。
もはや、サットサングやスピリチュアルなプロセス中にのみ体験するものではなくなりました。
私はこの気づきを、関係性や交流、そして日々の状況の中に持ち込むようになったのです。
*無意識から「気づいている状態」へ*
最も美しい変化の一つは、ジャッジメントの領域に現れました。
ジャッジする気持ちが湧き上がることがあっても、今ではそれに対して「気づく」ことができるのです。
そして、気づきがあれば、自分の内側で起きていることと戦う必要はなくなります。
以前は、自分の内面さえもジャッジしておりました。
自分の思考や感情と葛藤し、自分が体験しているものとは異なる自分になろうとあがいていたのです。
今では、その内なる葛藤は大幅に減りました。
私は、ただ自分の内側で何が起きているかをありのままに見ることを学んでおります。
そのおかげで、かつては複雑に思えた多くのことが、ずっと簡単になりました。
*孤独からつながりへ*
人との関係性においても、素晴らしい変化がありました。
以前は、孤独を感じ、人とのつながりを感じられませんでした。
今では、人とのつながりを以前よりはるかに強く感じております。
関係性はより意味のあるものになりました。
人とのやり取りには以前より安らぎと温かみが生まれ、人々が心から私と一緒に過ごす時間を楽しみ、私の存在を大切に思ってくれていることに気づき始めました。
この変化は、意識的に「人に好かれよう」と努力したから起きたのではありません。
私の内面で何かが変わり、自然と関係性の質も変わり始めたのです。
*傷つきはもはや長く留まらない*
以前は、傷つきが私の内側に長い間残ることがありました。
胸の内で、その状況や会話、感情を何度も反芻しておりました。
実際の出来事が終わった後も、マインドはそれらを引きずり続けていたのです。
今では、たとえ傷つきが生じたとしても、それがはるかに簡単に消えていくことに気づきます。
以前のようにそれに執着することなく、自分の内側で何が起きているのかを見極めることができるようになりました。
その結果、葛藤は最小限にまで減りました。
それは、私の人生から困難が消えたという意味ではありません。
誰にでもそうであるように、困難は依然として訪れます。
しかし、それらに対する私の対応は変わりました。
困難な状況に直面したとき、すぐに動揺したり圧倒されたりするのではなく、それを客観的に見つめ、その状況に寄り添い、冷静に向き合うことが、ますますできるようになったのです。
*シュリ・アンマ・バガヴァンとの深まる絆*
こうした内面の変化と並行して、さらに貴重なことが起こりました。
それは、シュリ・アンマ・バガヴァンとの絆がはるかに深まったことです。
今日、アンマ・バガヴァンは私の日常生活から遠く離れた存在ではありません。
私はアンマ・バガヴァンにすべてを打ち明けております。
私の幸せ、戸惑い、困難、考え、関係性、課題、そして人生で起こる些細なことさえも、包み隠さずお話しして います。
アンマ・バガヴァンとの関係性は、ためらうことなくすべてを打ち明けられる、とても親しい友人のようなものになりました。
そして、この絆が深まるにつれて、人生に立ち向かう中、私は決して一 人ではないという感覚がますます育まれております。
*静寂とアーナンダ*
おそらく最も深遠な変容は、私の内面の状態にもたらされたものです。
かつては多くの動揺、他者との比較、孤独、そして内なる葛藤に苛まれていたマインドが、今ではますます静寂を体験するようになっています。
私は、とても容易にアーナンダへと入り込むことができることに気づきました。
思考が自然に静まり、思考のない状態を体験する瞬間さえあります。
こうした体験は、自分の苦しみに完全に囚われていた時期には、想像すらできなかったものです。
外の世界は相変わらず様々な状況や課題を突きつけてきますが、私の内面にある根本的な何かが変化しました。
気づきが増しました。
つながりが深まりました。
ジャッジが少なくなりました。
葛藤が少なくなりました。
傷つきはより簡単に癒えて解消されます。
課題にも、より穏やかさをもって向き合えるようになりました。
そして、これらすべての中で、静寂とアーナンダの体験がますます深まっております。
かつての自分を振り返り、私が今日体験する人生のあり方と照らし合わせると、この旅が私をいかに深く変容させてくださったのかがわかります。
私にとって、シュリ・アンマ・バガヴァンとの旅は、孤独からつながりへ、比較から気づきへ、ジャッジから観察へ、葛藤から穏やかさへ、そして内なる苦しみから静寂とアーナンダへと向かう歩みでした。
何よりも、最大の祝福は、シュリ・アンマ・バガヴァンと分かち合わせていただいている絶えず深まり続ける絆です。
その絆は、今や私の日々の生活の中で、親密で生き生きとした一部となっております。
(訳者:菅)
本日の写真
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体験の朗読
悟りの体験(アートマ・サクシャッカーラ)
