悟りの体験(2025.11.13)

2025年11月13日

ナマステ
私はグジャラート州のバヴィンと申します。2002年からシュリ アンマ バガヴァンのダルマに身を置いています。

自分の旅を振り返ってみると、当初は神そのものに対する深い傷を抱えていたことがわかります。

人生における辛い体験が私に信頼を失わせていました。

私は聖なる存在から切り離され、内側が空っぽだと感じ、私を本当に慈しんでケアしてくれるより高次の力を持った存在がいるということを信じることができませんでした。

けれども、シュリ アンマ バガヴァンの聖なる存在や教えに入り込んだ瞬間、内側の何かがシフトし始めました。ゆっくりと、私のディヴァイン(聖なる存在)との関係性は癒され 変容し始めました。かつて よそよそしく 罰を与える存在として見えていた神のイメージは、溶けて消え始めました。その代わりに、私の声に耳を傾け、応答し、常に私と共に歩んでくださる、生き生きとし 愛に満ちたディヴァイン(聖なる存在)の体験が起こるようになったのです。

このつながりが深まるにつれて、私は自分の内側の状態を意識するようになりました。以前は、状況や人々に強く反応していました。

どんな傷でも長くとどまり、内なる混乱を生み出していました。けれども今では、愛するアンマ バガヴァンの恩寵により、痛みの真っただ中にあっても 傷つかない状態を体験しています。

かつて私を悩ませていた葛藤はあっさりと消え去り、マインドはしんと静まり返っています。もはや落ち着きのなさも抵抗もなく、ただあるがままの穏やかな受け入れだけがあります。

たとえ困難が生じたとしても、私の主が何もかも面倒を見てくださるということを 内側の深いところでわかっています。私はもう、結果をコントロールしようとしたり、状況に抵抗しようとしたりして もがいてはいません。外側で何が起ころうと、私をしっかりと支えてくれる静かな信頼と委ねがあります。

しばしば、私は深い静寂のピーク ステイトに引き上げられます。そこでは、ディヴァイン プレゼンス(聖なる存在)によって完全に満たされ、引き継がれていると感じます。こうした瞬間 「私」はいません。ただディヴァイン(聖なる存在)が(私を通って)流れているだけです。ソーマは簡単に流れ、努力することなく 聖なるヴィジョンや内側の体験が自然に起こります。

人生はシンプルで流れるようになりました。ジャッジはありません。ジャッジが生じたとしても、すぐにそれに気づくことができ、抵抗はなく、ただ観察することだけがあります。この気づき自体が癒しをもたらし、自我の束縛を解き放ってくれます。

私はまた、このステイトは他の人たちにも容易に伝わることに気づきました。私の周りの人々は平和で穏やかに感じます。私の関わり合いはより調和の取れたものとなり、人生は容易に優雅に展開していきます。

葛藤が劇的に減少したため、身体の中にエネルギーと活力が急増しています。疲労は最小限で、長時間働いた後でも、リフレッシュされ 内側から滋養を与えられたように感じます。

内なる抵抗から解放され、気づきと静寂に錨を下ろした 人生と共に流れるこの状態は、私が受け取った最も素晴らしい贈り物です。

この神聖なアートマ サクシャッカーラ(自己の認識:真の自己を直接的に体験し認識すること)を授け、私の人生を彼らの恩寵の生き生きとした体現としてくださいましたことに対し、私の最愛のシュリ アンマ バガヴァンに、両手を合わせ、溢れんばかりの感謝の気持ちを胸に抱いて、深い感謝を捧げます。🙏

(訳者:中島)

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体験の朗読

悟りの体験(アートマ・サクシャッカーラ)

https://stand.fm/episodes/6916e1b2371fb851efcff354

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