悟りの体験(2025.09.27)

2025年9月27日

ナマステ
シュリ アンマ バガヴァン シャラナム🙏🏻

私のマインドは 以前 ものすごくおしゃべりでした。このため、終わりのない思考の流れによる 絶え間ない不快感が生じていました。私は他の人の意見に深く依存し、他の人たちからジャッジされることを恐れていました。17歳で学びのために家を離れてから、内側に決して解消されることのない痛みを抱えていました。私の人生は、常に変化しているキャンバス((人生という)絵が彩られていくまっさらな布地)であり、そこでは 問題も喜びも、同じようにやってきては去っていきました。

けれども、私が幼い頃から授かっていた唯一の贈り物は、私のアンタリヤーミン(内在する神)、シュリ アンマ バガヴァンでした。そして長年にわたって、私の内側のシュリ アンマ バガヴァンがより強くなるにつれて、私の状態に劇的な変化が起こりました。思考は、それ(思考)がなければ空白である私の存在の状態を、もはや邪魔することはありません。内なる語り手は静かです。私の周りで起こるすべての出来事を目撃する人がいます。私は出来事の流れに疑問を抱いたりしません。恐れの最高潮を体験したとき、それは止みました。問題はやってきては去っていきます。私はそれらに疑問を抱くことも、解決しようとすることもありません。物事それ自体が 自動的に整って解決していくのです。私はもう、他の人に対するジャッジを自分の中に見いだせません。あるがままの人々に満足しています。実際、あるがままのあらゆる物事に満足しています。私はなすべきことは行いますが、あとはそのままにしておきます。

私は周りの人たち - 知っている人からも、行き当たりの見知らぬ人からも - とても大きな愛を受け取っています。私はしばしば、幼い子供のように扱われ、話しかけられている自分に気づきます。私がどこにいようと、誰と一緒であろうと、人々はわざわざ助けの手を差し伸べてくれます。人生はやさしく、甘美です。私のシュリ アンマ バガヴァンが、私の人生をこのようにしてくださったのです。

この感謝の気持ちは、言葉だけではとても言い表せません。存在は、ただ私のアンマ バガヴァンのうちにのみあるのです。ですから、私はただ彼らの聖なる蓮華のお足の元にのみおります。

ヴァイシュナビ ムダリアル
メガラヤ州

(訳者:中島)

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体験の朗読

悟りの体験(アートマ・サクシャッカーラ)

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